三矢重松

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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三矢重松

大日本人名辞書*1の「補遺」に次のようにある。

ミツヤ シゲマツ 三矢重松 國文學者、出羽鶴岡藩士、祖父は静と云ひ藩の典學たり維顯の二男、母は町子。

明治四年十一月鶴岡町大字二百人町に生る。

二十二年七月山形縣尋常中學校を卒業す。其の間中臺直矢?、角田俊次?漢學を、庄内英學會に英語を學ぶ。

常時一家悲運に際會せしかば家居すること一年、二十三年九月上京す。直ちに國學院の貸費試験に合格して入學を許可され苦學力行、終に二十六年七月卒業す。

十一月文部省大臣官房圖書課に奉職す。尋いで岡山縣高梁中學校?教諭となり、三十一年四月大阪府立第五中學校?教諭に轉ず。

卅二年九月嘉納治五郎の招致により神田猿樂町?に亦樂書院?を設立し支那留學生教育せり。

三十五年一月弘文學院?講師となり、三十六年十月國學院商議員を嘱託され、尋で國學院雑誌八代集抄、勅撰作者部類?、神器考證?、應問録?、賀茂眞淵全集?、中學國文講本?等を編輯す。

三十八年庄内館の理事となり郷里の青年學生を薫陶す。

四十一年國學院に國文學會?の設立せらるるや自ら會長となり大正五年源氏物語全講會?を起し國文學の普及を圖る。歿するまで之を繼續して完了せり。

尋で東京高等師範學校教授となり、九年八月國學院大學教授となる。

十年高等師範部長を兼ぬ。

十二年四月之を辭し大學部専任教授となり、十三年七月十八日歿す、年五十三、

これより先き重松文學博士の學位請求論文を提出し置きたるが此の時論文の審査終りて學位を授興せらる。

高等日本文法、作歌と助辭?古事記に於ける特殊なる訓法の研究(學位論文)、松野先生傳、中等新國文等の著あり(古事記に於ける特殊なる訓法の研究附録)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/hoi/hoi091.html

~19230517 新潮日本文学大辞典

18711129~19230718 『近代文法図説?

~19230718 塩澤重義『国語学史における松下大三郎』p.225


國學院第1期卒(明治26年)


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*1著作権保護期間終了につき、全文を転載する。

書籍からの画像で注記のないものは、著者の著作権が切れ、刊行後五十年以上経っているものである筈です。