『例解国語辞典』

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
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『例解国語辞典』

時枝誠記

中教出版

昭和三十(一九五五)年秋 時枝誠記

昭和31.2.10 

昭和35.4.10 第17版 450円 中教出版代表 阿部真之助

昭和36.3.1 第19版 450円 中教出版代表 飯島庚子


第19版

https://t.co/qF9u2BPSmn

あ pp.1-109

か pp.109-296

さ pp.296-500

た pp.500-636

な pp.636-676

は pp.677-790

ま pp.790-840

や pp.840-876

ら pp.876-905

わ pp.905-915

ん pp.915


増訂版

昭和49.4.15 第37版 1200円 中教出版代表 木村茂夫

昭和50.3.1 第38版 1200円 中教出版代表 木村茂夫

昭和50 第39版 

昭和51.4.15 第40版 1200円 中教出版代表 木村茂夫 

昭和52.4 第41版 (石山茂利夫による)

       はしがき

 「私たちは、自分の国語即ち日本語を知らない」と云えば、奇妙に感じられる人も多いことと思うが、事実、私たちの周囲にあるもので、これを言葉にどう云い表わしたらよいか、文字にどう書き表わしたらよいかということに戸惑ったり、また、耳に聞いたり、目に読んだりした言葉が,どういう事物や事柄を云い表わしているのか理解できなかったりすることが、意外に多いのに驚くのである。辞典の必要なことは、古語外国語についてばかりでなく、日常の身近な言葉についても、一層痛切に感じられることである。私たちに親しみ易い辞典を編もうということは、編輯員一同の日頃の念願であったのである。

 一語一語の理解のむずかしさは、それらの語が,時には二つ、甚だしい時には、五つ六つ、あるいはそれ以上の異なった事物や事柄を云い表わすことから来ることである。一つの語が、そのように、いろいろに使い分けられるようになったことには、それ相当の理由があることであって、もし、そのような点に思いをひそめるならば、そこには言葉に働きかける人間心理の秘密に触れることが出来て、おもしろい研究問題になるのであるが、それはそれとして、一語の意味というものは、ただそれだけを切り取って考えたのでは、正しい意味がわからない場合が多い。「しぜん」(自然)という語の意味がわかっても、「しぜんに泣き止む」という場合の意味はわからない。「かお」(顔)の意味で、「かおをつぶす」を理解すると、とんでもないことになってしまう。これは、語というものが、語の連結した慣用句の中に、その意味が生かされているためである。私たち編輯員は、そのような言葉の実際について特に細心の注意を払い、努めて実例を採集することを心がけた。従ってこの辞典は、いわば、国語の実例辞典ともいうべきものになったのである。

 必要の都度この辞典活用していただきたいことは勿論であるが、事の暇々に手当りにこの辞典を開いて読まれるならば、そこにはきっと、ほほえましいような、また時には、膝を打って快哉を叫びたくなるような言葉の使い方に行き当ることが多いに違いない。言葉が,何時の時代、また何処の誰の発明とも知られない、人間の智慧の所産であることに思い至るならば、それは私たち編輯員の、それこそ文字通り望外の幸いである。

 この辞典は、三木孝・松井栄一板坂元・竹内輝芳、以上四氏の献身的な協力によって成ったものである。編者として、ここに芳名を記して感謝の意を表することを許していただきたい。

   昭和三十(一九五五)年秋   時枝誠記

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。